2007年俺アワード

12月 31st, 2007 by admin

2007年は豊作だったと思うんですよね。

それは間違いないかと思います。

・電王

当初もの凄く消極的でした。

龍騎は好きだったんですけど、龍騎は何たってライダー同士の闘争を軸にしている話でしょう? つまり今まで個人主義ながら、公の正義に直結した個
人主義という大義名分を無理矢理通していた路線に完全に見切りを付け、極限までの個人主義を貫徹した話でした。で、そういうグループの中で唯一主人公だけ
が綺麗事を吐き、綺麗事を吐くが故に『甘い』と罵られる。集団において個人なんて路傍の石くれみたいに扱われるのが当然で、個は必要ありません。そして握
りつぶされて当然とされる論理が未だ通用する最中、個の論理優先で無ければ生き残れないと突きつける。

まあ、個じゃ結局何も出来ず、ナイトと事実上組む事になるんですけど。

龍騎がそういう話だった以上、凄いビビってました。

ところが蓋を開けてみれば、救いのあるコメディ路線。

コメディって嫌いだし、ヌルいからイヤなんですけど、この救いが思いの外効いてくる。毎回毎回、ほんの一片の可能性の綱渡りで、どうにか救われる。

お涙頂戴路線はいかん、理由が無いからとか思ってましたけど、一旦ツボに入れば見事な物で、逆にそこを軸にキャラに苛烈な体験をさせ始めるんですよね。

でも健気にも自分のキャラクタの限界まで耐えて、どうにか首の皮一枚で繋げる。この健気さと、救いが大きくて、感情移入して見てしまってました。

あと三回と回数は少ないですが、まあ安心して見られると思います。ダレも無かったし、恐ろしく完成度が高かったと思います。

・天元突破グレンラガン

ベタでした。

ベタって言うのは、マンネリとはちょっと違って、過去にあった「あるある」って路線をそのままなぞる事を言います。

そして大抵「ベタじゃん」は否定的意見に良く使われます。新しくない作品に存在意義など無いって事を象徴してます。

ところがまあ、ベタは決してボクにとっては悪い意味じゃあない。

この作品についてはもう随分と色々な意見を聞きました。ボクも随分書いた気がする。ただ、それだけマジにさせてくれた。日曜の8時代は毎週手に汗握ってテレビの前に居ました。どこまでも真剣に噛り付いていた。

作品自体が内包していた諸要素については、誰かが解説を耳にタコができるほどしてくれるでしょう。ボクの役目じゃあない。

年を少しばかり喰うと、「俺はこれが好きだ!」となかなか言えなくなります。言う発言に少しばかり「年甲斐も無く」とか、「アンタの見方はおかしいだろう」とカウンターの影を見てしまう。で、ボクはそのカウンターを甘んじて受けようと思って「良いですよこれ」と言う。

いびつですよホントに。どうしようもない。キャラクタを掘り下げる事とか、展開を盛り上げるシークエンスで必要不可欠な要素の欠如とか、ベタ展開
のくせにベタな部分を削ぎ落としてたり、肝心な所で照れちゃって、本当にきちんとした魂に残る演出をしておけば『残ったのに……』と惜しくなる演出が数多
くあったのも事実です。

でもボクはカウンター受けますよ。受けても構わないです。どんどん来てくださって結構。そのくらいマジにさせてくれた作品ではありました。

・電脳コイル

暴論ですがね、教育テレビの番組をいい年こいたオッサンが目を輝かせて噛り付くって態は、決して褒められたモンじゃあない。テレ東ならええのんか
と言いますが、まああそこは見てナンボじゃないですか。チャンネル変えた瞬間に覚悟完了じゃないですか。でも教育テレビは覚悟が必要あってはいけない。だ
から本来ボクのフィールドであって良い筈がない。

ところがまあ、蓋を開けてみればヤバいくらいに噛り付いてました。

新鮮な驚きという点ではもっとも驚きを覚えました。設定一個で話をきちんと捻ってくるし、細かい点まで考え尽くされたストーリー展開も、キャラに役割を与えてあげる懐の広さも、王道かなと思います。

つかボクの根底には間違いなくNHK教育のアニメって根付いてるし。たぶん、他の大人になってから見たものよりも。小学一年生のころ、ナディアを見た衝撃は未だに燻っていると思います。まあそれがエヴァに萌芽したんだと思いますけど。

この先、この作品を見た子供が大きくなってくるのかなあと思うと、まだちょいとばかりオタクを続けたい気持ちになります。

・ヱヴァンゲリヲン

震えました。

ストーリーなんか一緒なんです。そんなの重々承知。ストーリーは曾てすり切れるほどビデオで追っかけたし、カットもたぶん一番テレビで見たアニメの中で見ている。

そればかりに、この作品に関しちゃボクは、シンジくんと同じ年齢の時に見たまんまのスタンスなんです。アスカも綾波もシンジくんも年下になってし
まったけれど、ミサトさんや加持さんの年に近づきつつあるボクだけれど、どうにもね、シンジくんと同じ年のスタンスで接してしまう。

勘違いしないで欲しいのは、それは『親しさ』じゃないです。明らかな『拒絶』です。

「ああ、あるある」と思った事はないです。常に絶対に自分と相容れない作品だからこそ、どうにか吸収しようと思った。分析して、自分の物にしてやろうと思った。

で、時は流れて10年。2015年は間近、新世紀が新世紀だった頃などとっくのとうに過ぎ去り、セカンドインパクトは起こらなかった。

ボクといえば、一昔前の物ほど一番ダサく感じる物は無いという奴で、エヴァでごっそりたまった知識を垢と判断して削ぎ落とすのに必死でした。

で、エヴァは過ぎ去った過去の作品、既に何の新規要素も無い、庵野はカラッカラの抜け殻、ただの安野の間男というイメージにすら成り果て、未だにクレーンキャッチャーの景品に並ぶエヴァのキャラを見ては、下卑た笑いを浮かべたものです。

「今更エヴァでもないだろうが」

ところが、今更ヱヴァだった。いや、今だからこそヱヴァだった。

見る直前はもう完全に、庵野の死に水を取りに行くつもりでした。

今更エヴァでもないだろうが。実写にうつつを抜かし、またも笑いを提供するのか。せめて、もう一度だけ、ボクをシンジくん並みのスタンスに返して
くれと一縷の期待を込めながら。でもホントに一縷、1ミクロン以下のほんのごくわずかの期待です。大半は失望と絶望と、諦念と嘲笑を込めてやろうと手ぐす
ねを引いていた。

結果は見ての通りです。やられた。ころっとやられた。これ以上無いほどにころっとやられた。

今ですか? 破がダメだったらどうなっちゃうかわかりませんね。早く見たくてたまりません。ボクの一日は携帯から流れるBeautiful Worldから始まるしね。

そしてボクは手痛いカウンターを喰らうんでしょうが。でも、良い。それで良い。

他にも色々見た気がしますが、ボクの今年は大体こんなでした。では良いお年を。

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