‘初音ミクの情報’をごみ箱に移しますか?

10月 19th, 2007 by admin

 まあ、良くある話だが、人工的に真実を捏造し、作り出すにはどうすれば良いのだろうか。答えは簡単で、本当の真実を知っている人間と痕跡を全て消し、同じような真実を上書き、もしくは何もしなければいい。

記録メディアが無かった時代は特に、絶対の真実を伝える物は口伝しか存在しなかった。故に人は真実を伝えるには文字しかないと考え、書にし伝えた。テープレコーダーが開発されれば、ビデオテープが開発されれば、それぞれに真実を託し、嘘偽りない事を証明する物として、人はそれを扱った。

秦の始皇帝は言論統制として、焚書坑儒を行った。記録メディアとしての書を焼き払い、思想を何もかも消しても、何千年経った今でも焚書坑儒は、権力下においての究極の言論統制として、象徴的な出来事になっている。

そう、数千年前に起き、誰も証明する人間が居なくとも、思想を完全に文字通り灰と化した出来事が、皮肉な事に真実として伝え聞かれているのである。まあ、一種の恐怖政治を強いる物でもあったので、恐怖とセットで流布していたとしてもおかしくはないが、何にせよ未だに真実とされている事は特筆すべきだ。

他にも、権力下において言論を封じた例は枚挙に暇がない。だが、逆に言えばそれは、言論統制を行ったという事実が認識され、封じ切れていない事を示している。

つまり、余程の事がない限り、言論を統制し、思想を強制したという汚名そのものを、言論統制で覆い隠す事は出来ない。人の口に戸を立てても、その行為自体を正当化する術は無いのだ。

そして、愚かにもこの現代に、そんな馬鹿げた真似をして自分の意見を通そうと考える、不届き千万な何らかの意志がある。

実に唾棄すべき思考だし、仮に偶然を装った出来事だとて、偶然は連鎖する物ではない。システムは確かにオートマティックに動く物だが、それを動かすのは人間の意志であり、意志をトリガーにせねばシステムはその意志を反映したりはすまい。

インターネットの発祥。それは、核攻撃によるデータの永久的な散逸を防ぐためだった。ネットワーク越しにデータのバックアップを行い、たとえ一カ所がダメでも、数カ所にバックアップがあれば、まだ戦える。そのためにネットワークが築かれた。今、軍がその設計思考で作った物を、多数の人間が自己の意志を介在させ、ネット上のサーバに焼き付け、そしてそれを殆ど制約なく参照している。

情報の散逸を防ぐために作られた物を、言論を封ずる道具に用いようなど片腹痛い話で、実際に誰かの意志が介在したのではないか? という疑惑を多数の人間がデータにし、サーバに焼き付けている。

愚かな行為はたとえ原因を起こした物が何であれ、事実として語り継がれるだろう。人の口に戸を立て、たとえ手の及ぶ範囲全てを覆い隠しても、既に起こった人間の意志その物を打ち消すような事は不可能だ。

それが判らないような人間は、メディアに携わるべきじゃない。まったく、情報が可哀想だ。

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