釘宮ツンデレ

7月 25th, 2007 by admin

釘宮がツンデレっつーので、色々見てみる。

成程これがツンデレか。

というか萌えは苦手ジャンルな訳ですが、何が苦手ってさー、萌え美少女は存在し得ないからですよ。

まあ凄い簡単に言えば、横の繋がりがズボッと抜けてるからですけど。

いや、ハルヒとみくるの間には人間関係があるじゃん、みたいな話ではなくてね、じゃあみくるが公衆の面前でステレオタイプな萌えポーズを取るかっつったら、取らん訳ですよ。

だって通じないから。

ステレオタイプなポーズってのは、受ける側と投げる側双方の間に、相通ずる部分が無いと通じない訳ですよね。

だから萌えと呼ばれる共通幻想は、幻想の世界以外では存在しないし、一般社会で通用しちゃならんのですよ。

それはオタク社会でだけ通じる暗号の様な物であるべきなので。

で、暗号を読み取って、「ああ萌え」っていうのが萌えって構造なので、それってマジで萌えてんのか? というのが僕の当初からの疑問。

いやでもこれは別に萌えに限った話では無いですけど。

例えば、よく言われるのが困った時に頭を掻くしぐさ。

あれって使います? 使いませんよね。

いわゆる○○ネタという系統にされる、アクみたいな物ってのは悉く全部暗号で、暗号だから意味がなされるんですよね。

で、漸く話を戻すと、釘宮ってツンデレか? って話ですよ。

「う、うるさいわねっ! 別にあんたのためじゃないんだからっ」

って言えば誰しもツンデレかと言えば、そうではないようで、ツンデレのイデアこそ釘宮、となった理由が全然判らん。

僕の記憶が確かならば、ツンデレって言われ始めたのって君のぞくらいからじゃなかったですっけ?

いや一切調べてないんで判らんですが。

前に買ってきたツンデレ大全とか言う本には、結局最後まで「ツン」で終わってしまった二人目の綾波と、アスカがツンデレの元祖って書かれ方がされてました。

要はそこで貯まったフラストレーションが、「デレ」という同人的、二次創作的要素として噴出して、ワンセットになったみたいな書かれ方だったような。

で、もしそれが事実なら、本家本元の林原や、宮村がツンデレのイデアであるべきですよね。

しかしながらそうはなっていない。

ちなみに釘宮の芸歴を見ても、ごくごく近年にルイズとシャナ、三千院ナギと立て続けに類型キャラを演じているだけに過ぎず、ターニングポイントとして明確に「これ」というのが無いように思えます。

いやそもそも言葉の成り立ちから曖昧な言葉ですんで、どうしても僕はツンデレ=釘宮が全然結びつかない訳ですが、まあ無理矢理考察すると、以下の様な理由かなあとは思います。

①ツンデレが行き渡ったから

ツンデレが「あああるある」ってなったのは、何もこれまで居ないツンデレキャラがどーんと出てきたんで、それに倣った、という訳ではないと感じます。

前どっかで書いた気がしますが、エヴァのレイとアスカの祖先を辿ると、セーラームーンに行き着くんですよね。

セーラームーンは、もう凄く良くロジックとして上手く出来ていて、転生もの、超能力もの、美少女もの、恋愛もの、戦闘もの、魔法少女ものの要素を詰め込んで、上手く舞台を回す方法がきちんと構築されてますよね。

どこがじゃって言うと、五人の少女のエピソードを回して、他の四人はサブに回る訳ですよ。

主人公のエピソードに、サブとしてキャラが動く、というんじゃなく、少女ごとにエピソードを持たせて、主人公をサブに回すという手法は、多分この辺りが最初じゃないですかねえ。

まあもっと前だと聖闘士星矢や、サムライトルーパー、天空戦記シュラトくらいで、「サブキャラを主役並に活用する」手法が確立されたんで、それを流用、なのかな。

いや、そもそも石の森のゴレンジャー系列にまで話はさかのぼれそうですけど、アレもキャラ毎にエピソードを回すという手法は取っていたのかな。

ちょっと調べが甘いんですが、その辺からの発展で、サブキャラにきちんとした背景を持たせる手法が確立された訳ですよ。

で、力関係が五人とも大体一緒なので、視聴者は好きな美少女戦士を主張できる訳ですよ。違和感なく。

先に挙げた聖闘士星矢系統だと、やっぱり聖矢や一輝が強くて、後はちょっと退きますよね。いや怒られそうだなこの辺。

でもうさぎちゃんははっきり言って主人公オーラが無いので、主人公的なスーパー変身が無い無印、R辺りだとぶっちゃけ空気並じゃないですか。

で、力関係が一緒、主人公の自己主張が強くないという状況で、キャラ差異って何って話になると、それは「キャラクター」「性格」が強い決め手になりますよね。

逆に背景すら一緒のレベルなので、そこしか決め手が無いんですよ。

で、ここで凄くキャラ差異にえらく注視されて、やれレイちゃんがどうの、やれ亜美ちゃんがどうのと言われた訳ですよ。

で、セーラームーンに強く関った幾原さんを呼び入れる、という公算も入りつつで、エヴァは作られた訳ですよ。

でもエヴァにおけるレイとアスカが、同一ライン上からよーいドンでシンジくんとラブラブになろうという話には一切なってませんけどね。

でもまあ、エヴァを受けてか、セーラームーンを受けてか、はたまたゲーム的に仕方無くだったのかは定かじゃないですけど、全員が同一ライン上から
よーいドンで目的に向けて走る、ときメモが出ますよね。いや、同級生の方が先なんですけど、どちらにせよこれらのゲームは、市場的にまだまだ受け入れられ
ていない中で発売されたゲームだった筈です。

相手は一般の女の子という辺りが物凄い病んでると思いますが、(別にドラマの必然性云々を言う訳じゃないですよ。まあ欲望に忠実である事は確かですが)一般である以上、ますますキャラの差異、背景じゃなく、性格面の差異のみが重要視される作品が出てきた訳です。

他にもこの辺で大体のラインは確立してて、

・主人公は目が隠れている、ないしは無い

・よーいドンでスタートするので、後発でキャラが登場せず、最初の段階で出揃う(のが一般的)

・髪の色が珍奇

・舞台は学校

・最終目標は一人と恋愛状態に陥ること

てのが確立されたんじゃないかなと思います。

大枠、それ以降を見ると大きく外れる事は無いと思います。

で、この大枠に従って、類型類型また類型と、こぞって類型を出しまくる訳ですが、その際に強気ないしは、主人公に興味ねえよという状況からのスタートのキャラが居た、ただそれだけだったと思うんですよ。

だって着地は恋愛状態でしょ。

この辺りのマイナススタートってのは、美女と野獣だのシンデレラだの、ロミオとジュリエットだの、もう腐るほどあるわけですよ。別に何一つ珍しい題材じゃないです。生まれて当然で、それがクローズアップされる事自体がおかしいっちゃおかしいんですが。

で、その共通観念が行き渡ったのがまず第一点かな、と。

②幼児性

僕はkey系のゲームが大嫌いでして。っていうのも狂ってるからですよ。

めくらやら言語障害やら、精神退行やらを抱えた少女以外攻略対象が居なかったり、そもそも全員幼児だったり。

まあ何より逆鱗に触れたのは、女の子が可哀想で「泣きゲー」じゃなく、「女の子を助けられないという境遇に置かれる自分が可哀想」で「泣きゲー」な構造ですよね。

女の子が可哀想だから、どうにかしようっていう方向性じゃなく、どうしようもないよ僕無力だもん! って所に酔いたいみたいな。

まあその後今はどういう方向になっているかというと、「幼児みたいに未熟な精神構造と、未熟な体型をした子に護られたい」に変わってきているので、より一層救いようが無いわけですが、それはさておき。

釘宮が演じているルイズやら、シャナ、三千院ナギ、水瀬伊織辺りは、全員未熟な精神構造と、未熟な体型をしています。

で、まあ受け手の男性に対して、本来ならば未熟である以上無礼な態度を取るのは、不届き千万ですよね。

但し例外が幾つかあって、一つには男性自体に幼児性があるので許容、もう一つはマゾヒズム的傾向からの許容です。

で、処女信仰、ロリータコンプレックスみたいな物は、その未熟性に神を見ようとする訳ですが、僕神とか見ようとするのはあまりにも危険だと認識してるんで、幼児性を凄い敵視してるんですよね。

ロボットアニメにおけるパイロットが子供なのは、高度経済成長期における子供が、「発展の象徴だった」からだとか言われますが、じゃあね、さっき挙げた幼児性、未熟性に神を見るのは、「発展」だからかって言うと違いますよね。

全ての男はマザコンであるって話がありますが、まさにその通りで、少女の処女性だとか、未熟性とかに母性を感じてるんですよ恐らく。

デレ状態って大体そうじゃないですかねえ。

少女の未成熟な太ももに膝枕する絵とか良くありますよね。

つーか大抵、デレ状態は「受け入れOK」みたいなノリですよね。

つまり乱暴で怒られそうですけど、「少女→母」になる過程を見て、自分の物にしたがってるんですよね、アレって。

それってまともか?

本来全然意図してない物を想像するってのは明らかに病的で、求めたって其処にあるわきゃないのに、求めるんですよね。

だって少女に母性なんざあるわきゃないんですよ。あってたまるかって話ですよ。

「か、感情のギャップだよ! ギャップが好きなんだ!」って言いますが、いやあだってデレ状態ってほぼ全部母性と言い切って良いですからねえ。異常な状態ですよ? 判ってます?

あ、で釘宮が何で受けたかって?

いや簡単な話で、彼女はこおろぎさとみとかかないみかの後継として見出されたからですよ。つまり少女性にツンデレが適合すると市場は判断したんですね。

③結論

故にツンデレは存在しない。

「ヤンデレとか素直クールとかは!」

とか言われてもしらねーよ。中原麻衣が何で受け入れられたか知らないので知りません。知りたくもないね。

いやはや。書いてみるとひどいな。

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で、時かけの話をすればよいのかしら

7月 22nd, 2007 by admin

とりあえず時かけをぼーっと見つつ、もうただひたすらに連休初日をぼーっとしておりました超もったいねえ。

時かけは見返すと、何が面白いのか判らなくなりますね。

つーのはね、口当たりの良いギャグの部分ってのは、こりゃもう絶対必要で、あの絵柄で笑わせるのは必要不可欠なんですけど、そこの部分って何でも
そうですが、初回のみ通用なんですよねえ。で、しつこさがないので、その辺はもう前提条件として見ちゃうじゃないですか。しつこい展開なら、ギャグ自体が
展開に組み込まれるように組むので、へんてこなセリフで胸が熱くなったりする訳ですけど。

でも時かけの構造的に、魔女おばさんが警告してくれた「あなたが得をする分、損をしている人が居るんじゃないかしら」「付き合っちゃえば良い
じゃない」辺りからは見ていて快くない部分なんですが、アレが来るよ、って警告がされてて、そっからの展開はそれを踏まえた物になっている訳で、つまり手
放しで口開けたまんま見れる部分と、作品主軸の部分がきっちり分かれてるので、二回目以降って全然笑えんのですよね。

で、この作品てばどこに主眼なの? って言えば、まあ見た人はラストの辺りって答えますけど、前提条件として未来人の男の子が出ますよってのは最初の段階で判る話ですよね。

筒井版をあれだけ強調してるんだし。

悲恋であれ、ベタベタな話であれ、もう未来人の男の子が出る事はきっちり決まってて、それであのどんでん返しですから、実はどんでん返しとして機能はしてないんですよね。

という訳でその辺りもそぎ落とされると、残ったのは真琴と千昭のキャラクタだけなんですよね。

だってそこだけじゃないすか、曾てとの違いって。

湿っぽくないよー、勢いがあるよーってのが売りですよね?

つまり突き詰めると、真琴嫌いだとこの話って面白いと思えんのかもしれんのですよ。だってソコしか見るトコ無いんだし。

まーそういう分析はさておいて、僕個人が好きなのは台詞回しで、力入ってないんですよねえ。

こうしてやる! こうやってやるぞお! っていう強い力が無く、ケレンも強くなく、すーっと流れる様に溶け込みますよね。この辺りって凄いなあ、爽やかな印象を書けるってのはすっげえなあって見ます。

舞台装置としてもそれほど奇をてらってないし、異常性を出してどうこうってんじゃないし、この『フツー』感ってすっげえですよ。「フツー」感って難しいと思うんですよ。

だってあーた、フツーは退屈ですから、フツーをフツーに描けば、フツー過ぎていかん訳ですよ。

フツーをフツーにやっていながらフツーじゃないってのは、なかなか出来るもんじゃないんじゃないかな、と思います。

と、知人に「真琴があんま好きじゃなくて、これフツーの話だよな」と言われた悔しさをバネに筆を取りましたがいかがお過ごしでしょうか。ちくしょう。

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